広告賞受賞経験のある寺澤勝さんの波瀾のキャリアと年収UPアドバイス!
2016/04/04
多分日本で一番ディレクターを応援している(と意気込む!)INNOCENTIVEが送るディレクター進化論。
今回はインタビューレポ第二弾としてディレクターとして活躍されている寺澤勝さんにお話を聞きました。
寺澤さんは東京インタラクティブ・アド・アワード受賞(http://tokyo.interactive.ad.awards.jp/Results11/info/30.html)の制作実績もあるスゴイ方なのです。。
今回のインタビューも、今以上に活躍したいと考えているディレクターさんたちのひとつのあり方として、参考になる話が聞けたかのではないかと思っております!
■東京インタラクティブ・アド・アワード受賞
―寺澤
まずは自己紹介がわりに実績の話を。
一番の実績は、東京インタラクティブ・アド・アワードっていう広告賞の、モバイルアプリ部門で銅賞をとった「@トイレ」っていう、近くのトイレを探せるiPhoneアプリの開発ディレクションと、一連のプロモーションサイトの制作ディレクションをしたことかなと。
探せるトイレ情報は公衆トイレだけでなく駅構内のトイレも探せるようにしようということになり、実際に調べはじめたら駅構内のトイレ情報は全部がネットに上がってない!ということで、急いでスタッフに足を使って調べてもらったり、PCサイト、モバイルサイト、アプリ開発が同時に進行、かつWebサイトはFlashムービーを使ったコンテンツ制作なので演出の調整が多かったりと、たいへんだったけどね。
―広告賞を受賞しちゃうなんてスゴイですね!
―寺澤
企画は広告代理店さんなので自分が寄与したところは少ないけれど、制作ディレクションは一式担当させてもらったので、良い経験させてもらったし、楽しかった。
■波瀾万丈なキャリアだからこそ得たもの
―ところで、寺澤さんはどんなキャリアを歩んでこられたのですか?
―寺澤
最終学歴の専門学校ではDTPを学んでいたので、エディトリアルデザイナーを目指して東京の会社へ就活にいっていたけど、卒業年の2000年頃はちょうど超就職氷河期で……。
会社説明会に参加してみると、5人の採用枠に200人の参加者がいたり、デザイナー志望の人は美大卒の方も多く、自分が専門学校卒というところで勝手に尻込みしたのもあり(笑)
早々に諦めて、高校で学んだプログラミング知識をメインにアピールするようにして、地元・新潟のシステム開発会社に就職したんだ。
本当はもうプログラミングしたくなかったんだけどね(笑)。
―書きたくなかったですか(笑)。 でも新卒でプログラムが書けるのは武器になりますよねー。
―寺澤
高校時代にならったプログラム言語はCOBOLで、会社で使う言語はVisual Basicだったので、入社前に多少勉強したけどね。最初の会社では商品管理システムとかつくってた。
業務を通じてWindowsアプリ開発のイロハとクライアント・サーバシステムの基本的なことを覚えた。
ただやっぱり東京で働きたくて2年で転職したんだ。
ー東京に出てきた時の会社はどんなところだったんですか?
―寺澤
株取引に関するアドバイスとかをメルマガで流している会社。
でもこれまた2ヶ月半でやめちゃったんだよね。
というのも、その会社で使ってたプログラム言語のC#で、最初はC#できなくても徐々に覚えていけば良いよという触れ込みだったのに、途中からやっぱり今すぐできないとダメだって話になり、無給の休日出勤でOJTを求められたので、さすがにこれはないなーと思ってやめた。その後は、アルバイトで食いつないでた。
アルバイト生活を2か月してたんだけど、そこでわかったことがひとつあって。それは、自分はきちんと働いてないとダメなんだなってこと。アルバイトだと充足感がまったくないんだよね。
自分は流れ作業ではない仕事がすごく好きなんだなと思った。
そんなこと考えながら行きつけのバーで飲んでたら、相席してたお姉さんに、勤めている会社がエンジニアを募集してるんだけど来る?って誘われて、これは渡りに船だと思って就職したんだ。
ただこのエンジニアってのが、就職してからわかったんだけどソフトじゃなくてハードの方だったんだよね。
しかもハードはレーザー脱毛器(笑)。制御系はWindowsだったので扱えなくもなく給料は悪くなかったんだけど、さすがに長くこの業界にはいれないなーと思って10ヶ月弱でまたやめちゃった。
それで次に就職した会社で、外資系ハードメーカーのソフト部門に常駐することになった。ここでは要件定義やコンサルティング、ユーザーサポート的な仕事をしていたよ。
ここでも色々あったなー(笑)。
■今までの仕事をやりきってきたから生まれた複合的な強み
ーすごく色んな仕事してきてますね! で、寺澤さんはいつ、Web制作の仕事をするのですか?
―寺澤
元々Webが大好きでテキストチャットにすごいハマってたのもあって、いつかWebの仕事に就きたいなーとぼんやりはいつも思ってた。
あと外資の会社にいるときに、歳が一回り以上うえのお客さんにシステムの使い方とか改修案とかを提案する必要があったので、業界紙の日経システム構築(現:日経SYSTEMS)なんかを読んだりして勉強してた。
でさ、そこにこれからはLinuxだ!とか書いてるわけよ。そんなこんなで技術トレンドの面からもWeb制作の仕事に就きたかった。
そんな時、常駐の仕事が終わることになったので、Web制作会社に転職したんだ。
―ここでディレクターになるんですね!
―寺澤
そうそう。
転職したWeb制作会社では、Linuxでの開発はできてもWindowsでの開発経験がある人が少なかったりしたのもあって、ここでもいろいろやらせてもらったよ。
システムエンジニア、プログラマのほかに技術営業(セールスエンジニア)みたいなこととか、社内SEとか、あとテクニカルディレクターとしても動いていたので、ディレクターのキャリアスタートはここからかな。
―ディレクターのほかにも、技術営業もやっていたなんて!。寺澤さんスゴイ喋れるから合ってそうですね。
―寺澤
まー会社の役割としての技術営業っていうより、見積を積極的にガリガリ作ったり、システム開発提案をほかの制作と合せてやっていたってくらいだけどね。
株取引情報を扱う会社にいたときに、営業の人が元証券マンで。その人にセールスエンジニアが向いてるよって言われてた(笑)。
―証券マンに言われるなんてよっぽどですね(笑)。強みについてもう少しお伺いしたいのですが……。
―寺澤
そうだなー。段取りが早いのもそのひとつかなぁ。
Web制作会社にいる時に、ISO27001の更新審査担当を3年ほどやっていた経験から段取りが早くなったと思ってる。何をやっていたかというと、会社として情報セキュリティが確保できていることを証明する仕事なんだけど、たんにセキュリティレベルを上げれば良いってわけじゃないんだよね。セキュリティレベルを上げて仕事できなくなりました、じゃ意味ないからね。
だからそこのバランスをとらなきゃいけない。リスクテイクとリスクヘッジのバランスを自分なりにとったものを社員や経営陣にプレゼンして、実際に実行できるようにもろもろ段取りしていったんだ。経営陣は忙しいから、早く段取りして承認してもらうことが重要っていうのがよくわかった(笑)。
■年収を上げたければえらい人の年収を知りなさい
―寺澤
今回のテーマは年収を上げるのには何をすればいいか、ということだったね。そのためには2つのことが必要かなと。
ひとつはえらいひとの年収を知ること。えらい人以上の給料を欲しいといっても難しいよね。年収500万円欲しいなら、えらい人がそれ以上もらってないとふつうに難しいと思う。
ふたつめは、年収以上の売上をつくること。だいたい一般的には年収の3倍以上の売上はつくらないと、会社は社員が希望する給料を払いづらいってことをきいたことがあって。
要するに家賃とか社会保険とかなんだかんだで給料の倍くらいは、その人に会社はお金を使ってるってことだと理解しているんだ。
なので、単純にいえば、欲しい給料が払える会社なのかどうかを確認したうえで、欲しい給料の3倍以上売上をつくれば、希望給与を払ってもらえる可能性はあるのかなと。そうじゃないケースもあるから、あくまで目安だけどね。
ちなみにフリーランスっていう選択肢も、今は大いにありえると思うよ。その場合は自分の給料を決めれるから、売上が500万円なら年収500万円にはすぐなれるはず(笑)。
でもフリーランスはいろんなことから自由になれる!って思ってる人は、実はいろいろ大変だからやめておいたほうが良いかなぁとも思います。
なぜなら会社勤めの場合は、経理や総務の人がやってくれていた、法律とかで決まっている多くの仕事も自分ですべてやらなければならないので、思った以上にお金にならない仕事をやる必要がでてきて、時間はどんどんなくなっていくよ。
逆に、稼ぎたいって言う人には聞きたいことが2つあるんだよね。それはなぜ稼ぎたいかということと、そもそも働くことが好きか?ということ。
自分がなぜ稼ぎたいかを把握して、働くことが好きなのであれば稼げるようになると思うよ。年収が低くたって、今の生活に満足していて働くことが楽しいのであれば、それはすごく幸せな状態だと思うしね。
ーなるほど、よくわかりました。
どんな業界、職種にいても、しっかり仕事をすること自体が強みになるんだなと感じました。
あと優秀な人は仕事を楽しんでるなーと再認識させられました。
さまざまな視点からのアドバイスありがとうございました!
寺澤勝プロフィール
1979年生まれ。新潟県出身。商業高校時代にプログラミング、専門学校時代にDTPを学ぶ。職歴は、大手SI下請→Web情報サービス保守→メールサービス運用ペレーター→レーザー脱毛機保守→データ管理パッケージ運用コンサル→Web制作会社→出版社を経て、現在フリーランス。 職能は、クライアント/サーバ型のテクニカルディレクション/エンジニアリング、ISO27001の運用経験に基づいたプロジェクトマネージメント、Windows系オープン/LAMP・LAPPでのシステム開発、簡易なDTP作業など。趣味は音楽全般。
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助田(ディレ協事務局長)がじっくり相談に乗りますよ。
インタビュアー:合田衆一郎
ライター:長谷川朋弥
投稿者プロフィール
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株式会社イノセンティブ GARAGEシェアデスク担当:日本ディレクション協会
Webディレクターやフリーランスの支援のお手伝いをしています。
あとはWordPressをいじってます。
普段ワンカレというWebディレクター向け勉強会の運営をしています。
WebGLの可能性に胸をときめかせている大学4年生。広島にて1993年2月に生まれる。
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